基本三文型の特徴から、筆者の主張をとらえる ~「言葉の意味が分かること」(光村図書5年)より~

基本三文型の特徴から、筆者の主張をとらえる ~「言葉の意味が分かること」(光村図書5年)より~

説明文の学習で教材文から読み取るべきことは何でしょう。
高学年では、「筆者の主張」を読み取ることが説明文の学習において重要になります。
しかし、「書かれている内容・事例」を読み取ることに力を入れている授業が多いのではないでしょうか。

【今回の「問い」】

「筆者がこの説明文で読者に伝えたかったことはなんだろう」

【習得を目指す力】

文章の構成を手がかりに、筆者の主張をとらえる力

授業においては、子どもたち自身が【問い】をもち、自発的に解決しようとすることが大切だと言われます。
そのためにも、授業づくりにおいては、教師が【課題】【活動指示】【ズレ】【問い】【技】の関係を理解し組み立てていくことが必要です。
※「【問い】の解決による汎用的な力の習得」の詳細については本連載の第2回を参照

それでは、「言葉の意味が分かること」の、実際の授業を見ていきましょう。

「言葉の意味が分かること」には、次のような特徴があります。

→基本三文型のうちのどれにあたるかをとらえることができる。

→筆者の主張部分を明確にとらえることができる。

→筆者の主張をまとめることで、「要約文」を書くことができる。

今回は特徴2として挙げた「双括型である」に着目し、子どもたちが次のような【問い】をもつ授業を組み立てたいと思います。

【問い】
筆者がこの説明文で読者に伝えたかったことはなんだろう

子どもたちに「筆者の主張」に関心をもたせるため、次のような【課題】を示しました。

【課題】
この説明文の筆者は、どうしてこの文章を書いたの。

「筆者は、どうしてこの文章を書いたの?」という課題に対して子どもたちの多くは「伝えたいことがあったから」と答えるでしょう。
中には「一つの言葉をどのはんいまで広げて使うかは、言語によって異なることを言いたかったから」と、具体的に答えようとする子どももいるかもしれません。
そこであえて、「小さな子どもに『コップ』の意味を伝えることは難しいっていうことを伝えたかったんじゃないの?」と、揺さぶりをかけてみます。
すると子どもたちがざわつきはじめます。
「そういうことを言おうとしたわけじゃない」
「それは、例としてあげただけ」
などの声も出てくるでしょう。
ここまでくれば、子どもたちの中に【ズレ】が生じ、「筆者が最も伝えたかったことは何だろう」という【問い】が生まれているはずです。

【ズレ】

筆者がもっとも伝えたかったことは「言葉の意味を伝えるのは難しい」ということ。

筆者がもっとも伝えたかったことは「言葉の意味には広がりがある」ということ。

筆者がもっとも伝えたかったことは「言葉の意味を『面』としてとらえることが大切」ということ。

筆者がもっとも伝えたかったことがわからない。

ここから、次のような【問い】が生まれます。

【問い】
筆者がこの説明文で読者に伝えたかったことは何だろう?

ここで子どもたちと、次のことを確認します。

説明文は結論の位置によって「頭括型」「尾括型」「双括型」の3つに分けることができる。

「言葉の意味が分かること」は、〈はじめ〉の部分で「言葉の意味には、広がりがある。」という結論を述べ、〈おわり〉でも同様のことを繰り返していますので、「双括型」と言えます。
「双括型」の文章には、次のような特徴があります。

〈おわり〉では、〈はじめ〉で示された結論が繰り返されるだけでなく、プラスアルファの情報が加えられる。このプラスアルファの情報が「筆者の主張」である。

「言葉の意味が分かること」の⑪段落では「言葉の意味を『面』 として理解することが大切になる。」という部分がプラスアルファの新しい情報の部分となり、筆者の主張となっていることが分かります。

「言葉の意味が分かること」では、題名から次のような【問い】を作ることもできます。

「言葉の意味が分かること」とは、どんなこと?

この【問い】を解決するために⑪段落の「言葉の意味には広がりがあり、言葉を適切に使うためには、そのはんいを理解する必要があります。(中略)言葉の意味を『面』として理解することが大切になるのです。」という叙述に着目させ、それが筆者の主張となっていることに気づかせてもよいでしょう。

また、筆者の主張をとらえることは、文章全体を要約することにもつながります。 要約文は、「筆者は……」の書き出しで始め、文末を「……と、説明している(主張している/述べている)。」とすると、まとめやすくなります。 「言葉の意味が分かること」は、次のように要約することができます。

筆者は、「言葉の意味が分かること」とは、「言葉の意味を「面」としてとらえる」 ことが大切であると主張している。さらに、このことは、自然だと思っているものの見方が、決して当たり前ではないことに気づかせてくれると、述べている。